わたしの足はギリシャ型

あうくつがない

やるんだよ。


職業訓練のストレスで、買い物が止まらない。今月は眉毛を描くアイテムを無駄に2本買い、マスカラまで買った。私は毛深いので眉毛が長い、まつ毛も長い。整えないとキモいのだが、朝家を出て職業訓練についた頃には眉尻がなくなっている。眉毛のトップコートを買う方が先だったはずなのにトップコートを買う気にはなれず買ってない。

だけど年一ペースで欲しくなるテプラは買わなかった。近所のショッピングセンターで価格コムにあった値段よりも安い価格のテプラを見かけたけど、買うのはやめた。偉いぞ自分。そのかわり、中島らもの本をブックオフでたくさん買った。

 


中島らもさんはイリーガルな人なのに、人としての筋が通ってるからか、育ちがそこそこいいからなのか、エッセイの中ではマトモな人に思えてくる。実際自分の旦那が、彼氏が、父親が、兄弟が、らもさんのようなラリっているフーテンだったらどんなに稼ぎがよくても結構イヤだなと思っても、親戚のおじさんにいたらきっと好きな親戚だろうし、父親の三年に一回家に来る友達とかならかなり会いたい部類にいるんじゃないだろうか。きっと幼少期に憧れる大人の像の1人に加わり人生がヘンになるキッカケになりそうな気がする。

思春期に少し読んだだけの1読者の私の人生でさえかなりひねくれてしまったので、らもさんに影響を受けまくった人たちはきっと大変だなぁと思ってる。まぁ思ってるだけだけども。

 


私の父親には友人がいて(そりゃいるだろうが)私の幼少期から今にかけてわりかし頻繁に会う高校時代のグループの面々はぶっちゃけなにを仕事にしてるのかよくわからない大人たちだった。

4、5人くらいいるいつものメンバーで、恐らくサラリーマンは私の父親ともう1人くらいで残りは自営業で子供の私が説明されてもピンと来ない業種の人が多かった。

 


だからなのかはわからないが私はサラリーマンが何をするのかサラリーマンの娘なのにピンと来ず、世の中の仕事の全貌が未だに分かってない。今通ってる職業訓練も興味があったのはIT系かwebデザインだったのだけど、IT系の仕事がピンと来なさすぎて、病院に行けばなんとなく仕事が見える医療事務にした。ぶっちゃけ後悔している。

私に医療はきっと向いてない。向いてたら多分服飾の学校とか行ってない。

向いてないのではと、いつも行く心療内科の先生に話したらはじめは「そんなこと言わないでがんばろうよー」って感じだったのに、私の愚痴をきくうちに「その考えなら医療やめた方がいいよ」と言い出してしまった。いや、だから向いてないんですって。

だから先日あった調剤事務の資格試験では満点で合格しなきゃいけないと自分の中で決まりを作って挑んだのだけど、今からめちゃめちゃ不安なのである。合格はしてると思うのだけど、満点はとれた気がしない。練習問題であれだけあった謎の加点が(時間外でなんで持病の薬取りに来るんだよ…)全くなかったのである。あるってなんだよ、不安で仕方ない。

 


明日から医療事務の分野が始まる。向いてないなぁと思いつつ、資格の勉強は何故か向いてるので残り2ヶ月、とりあえず頑張る。

3ヶ月後就職できたら、褒めて欲しい。

ポジティブな差別

ストラテラを処方されでもうすぐ5年、あんなに好きだった文を書くことも言いたいことをひたすら並べる作業もただダルく感じるようになり、もう文章書く必要、書く理由があまりないのでひっそりとこのブログを消してなかったことにしたい気持ちしかないのだけど、久しぶりに書きたいことが浮かんできたのでとりあえず書く。

書き出しの割に組み立てがイマイチ思いつかないけれど、仕方がない。

 


コロナの影響で中高生が部活動ができなくなったからか、いままでならTVで夏に見かける部活をしている中高生は野球部一択だったが、あらゆる部活動のリモートの様子がニュース番組で見かけるようになった。感染症対策に難儀してそうな合唱やら、水泳、吹奏楽。見かけるたびに思うのは自分より一回り以上は下の子供たちなのに部長くらいになる子はほんとにしっかりしてるなぁってこと。

思えば私が部活をしていた時も部長になるような子はとてもしっかりしていた。部員が多めの部活にいたので、部長は投票で決めていたのだけど、同じ年数生きてる同級生でさえ人間がかなり出来てて、話すことも説得力が違ったし、性格も良かった。

発言が年齢の割に達観していたり人間ができている人に対して「人生2周目」などと揶揄する言い方があるが、その通りに言えば人生1周は多いんだろうなって子が部長に選ばれる。

だけどどうだろう。1年の時に同時に入部して少なくとも2年間苦楽を共にして、泣いたり笑ったりしてきた仲間が少し周りを思いやったりしただけで「あの子は人生2周目だから」と割り切ることは出来るのだろうか。

自分も同じではないにしろ似た景色を見てきたのにそのようなおおらかな考えに至れなくて悔しくなったりしないだろうか。

人間は環境も体質も感覚も全て違うし、違うということはその時代時代にあった向き不向きも絶対ある。同じ学校にいて、たまたま選んだ部活が同じってだけで他にこれといった共通点のない人たちが集まる部活ですら人間力の差を見せつけられ嫌になってたけど、視点だったり学びの姿勢だったりが違えばそりゃ結果が変わって当然だろうと今なら思うし、悔しがる前にやらなきゃならんことをやらなきゃなぁと少し自分に喝を入れている。

私は子供の頃から疲れやすくて家に帰ればボーッとする時間がないとしんどくなる体質なんだけども、逆にボーッとしてるとしんどい人は勉強やら運動やらをするんだろうし、ボーッとしないと辛い体質は仕方ないにしろ、ボーッとしているのが辛い体質の人の結果が優れていたからと言って「人生2周目だからね、」と諦めるのはなんか違うよなと気づいた。そもそもその人の苦労もろくに知らないで「あの人はほかの人と違う人だから」と諦めるのは、なんというかポジティブな差別意識だよなぁと思う。

うまく言えんけども。

 


書きたいことがあった、と言いながら全くうまく書けず思えず言い切れず、でめっちゃすみませんって感じなのですがとりあえず8月末日、ポジティブな差別もやめようと思った話でした。

手芸している。


昨晩、寝る直前にブログについてのめっちゃいいアイデアが浮かんでワクワクしながら寝たというのに、今の今の時間まで全く思い出せない。1日中ブログのことを考えていたというのに。

最近は久しぶりに手芸のようなことをしている。技術など元々ないが全くできなくなってて、ネットやら本やらを頼りに作っている。今この瞬間も刺繍がしたい。ただ下絵を写すのが面倒で結局できてない。

今はバックインバック的なものを作ろうと生地を裁断しているのだけど、裁断が面倒でなかなか作業が進まない。

手芸で1番好きな作業は縫っているときと、アイロンがけなのだが、アイロンは熱するのに時間がかかるし、ミシンがけは結構気を使う。向いてないのかなぁと思いながらアイロン台とミシンを往復してるけど、やっぱりこの二つは楽しい。刺繍も好き。

デザイン考えるのも、型紙を作るのも根を詰めるとめちゃくちゃ面倒に感じてしまうけどついつい作ってしまうのはやっぱり好きなんだろうな、お裁縫が。

 


私の祖母は仕立て屋の次女で家を手伝っていたからなのかその時代の人ならではだからなのかはわからないが、お裁縫が得意で小さい時には服を縫ってくれたり、地域のバザーが近くなると出品用に縫っていたティッシュケースを分けてくれたりした。

私は祖母がとにかく好きな子供だったので小さい時から色々と教わっていたんだけど、祖母は多分大事なことを見逃していた。

私が左利きということを。

基本的に優しい祖母だけれども、祖母は仕事にしていたからか、お裁縫に関してはわりかしスパルタで、ステッチを少し間違えると割とシリアスなトーンで怒られてたので右手が使いにくいなど幼かった私はいえなかった。

だから手縫いの時は治すことが出来なくて、ずっと右手で縫っているけど、細かい作業は左の方がやりやすいし、力を入れる時も左だから勝手が違うなぁと思いながらやっている。

ミシンをかけながらまち針を抜くときは左手なので結局わけがわからなくなる。腕につけるタイプの針山をつけている時なんて、針山がついてない方の腕に針を刺したりすることもあった。

向いてないのかなぁ。

 


だけどおばあちゃんが教えてくれた好きな事だから、ずっと大切に楽しんでいたいなぁと思う。

 

日記の質


質の高い日記が書きたい。が、かけない。だいぶ前にストラテラのせいだ!と鼻息荒く書いたことがあるが、多分ストラテラのせいじゃない。私が勝手に「メンヘラ構文」と呼んでいる文体になるのが過度に怖いのだ。

メンヘラ構文とは、脱線が多く、主語がぼんやりしていて、やたらと長くてなにが言いたいのかよくわからない文章と00年代初頭のオタクを彷彿とさせる独特の文体が悪魔合体したものだ。たまにいるし、だいたいメンヘラを自称している。あと「おばさんポエム文体」になるのも怖い。

おばさんポエム構文とはショッピングサイトのレビューにたまにいる、関係のない自分の周辺の情報を過度に伝える上に微妙に古のJ-pop的な叙情を思わせる文体だ。だがこの文体は謎に読ませる力があって全部読んでしまう。

そして最近の楽天やYahooショッピングはショップが多すぎて良し悪しがわからないので「おばさん構文がレビューにあるショップはサクラを使っていない」という指針になっているので重宝している。

メンヘラ構文だのおばさんポエム文体だのdisってはいるがバカにはしていない。メンヘラ構文でも文章が上手いひとは上手いし、おばさんポエムだって読ませるものは読ませる。ショッピングサイトで知らない人の関係のない身の上話を読んでイラッとはするけど別にブログで読む分にはさほど思わない。TPO的な話だ。むしろ嫌味にとられる言い方しかできないが、過度になってしまうのを恐れて毒にも薬にもならなすぎてむしろ毒になりそうな日記を量産している私に比べたらめちゃくちゃすごい。見えない読者のメンヘラへの嘲笑を恐れて書こうともしない自分よりさらけ出していてかっこいいし、レビューを参考にして買い物している割にレビューを書かない私よりだいぶ偉い。

文具の話をしようとして

YUKIの話をしてしまっていた。文具の話をしていた頃は部屋を片付けて、キラキラインスタアカウントを開けるようにしたかったのだけど、ミシンテーブルを置いたら創作意欲が湧いてしまい、ミシンをかけている。早くミシンテーブル組み立てたらよかったな。久しぶりのミシンは楽しい。だけど布があるのに針がなくて焦った。

そして再び私の部屋は荒れている。片付けてから一週間持ってないかもしれない。ツライ。ベッドにもマットレスの上に置くマットレスのようなものを敷き、寝心地がよい。朝起きたら腰やら背中やらが痛くて毎日しんどかったのがかなり改善された。私はADがHDしてるので居住空間にそこそこお金やらなにやらをかけないと快適に暮らせないんだろうなと気づき、色々やってるが、もっと早くやればよかった。なにシールとか買ってるんだよ。いや、シールとかかわいいし仕方ないんだけども、仕方ないんだけども…。

んで、なんだっけ、そうだ、文具…。いま手帳の表紙に取り付けられるペンケースを作ってる。歓声が楽しみなんだけれども、ひとつ失敗して作り直している。早くできないかなー。そう思っているなら手を動かせですよね、ハイ。

今日も日記がつまらない!

YUKIを聴いて泣く三十路


YUKIが大好きだった。どれくらい好きだったかというと、あの名曲「JOY」のMVを真似して頭をツートンカラーに染めるくらいには好きだった。(片方だけブリーチをした、自分で)

小学生だか中学生の頃に当時JUDY AND MARYのボーカルだった彼女のパフォーマンスを見て以来、ずっと人生の目標はYUKIだった。いつか自分もYUKIのように破天荒だけど最高にキュートでビッグ(器のサイズ的な意味)なスーパーガールになるのが私の夢で、テーマだった。

ずっと好きだと公言していた真心ブラザーズYO-KINGと結婚したところも私の憧れを煽った。私も好きなロックスターと結婚したい…!

と浅はかで幼い私は思っていた。その頃すでに吉井和哉は結婚してたことは知ってたのでオーケンポルノグラフィティのメンバーならイケるかもしれない!と。ほんとに浅はかだ。

 

10代後半に人生の雲行きが怪しくなって、持っていた夢や目標どころじゃなくなった時もYUKIは心の支えだった。

その頃はいつかYUKIのようになってやるというよりかは、励まされたい気持ちだったのかもしれない。わからない。ただ憧れは憧れなんだと分かった時がどこかであったはずだけど思い出せない。いつしか私はYUKIJUDY AND MARYも聞かなくなった。あれだけ心の支えにしていたのに、気づいたら聞かなくなったし、義務のように買っていたアルバムも買わなくなった。


最近部屋に音楽をかけていた方が作業が捗るという事に気づいて、10年ぶりくらいに部屋にあったCDプレイヤーをフル回転させている。主にサブスクで配信されてないミュージシャンのものをかけていたけど、飽きてきたからCD変えようと、プレイヤーのそばにあったYUKIのアルバムをかけてみたらこんなに素敵なんだと泣けてしまった。

青春の1ページだからなんだろうか、曲にまつわる思い出とかさほどないけど。アルバムを買った時に泣けた所でまた泣いているのでもはやなんかの念が入ってるのかもしれない。

最近好きだったものを前ほど好きでいられない気持ちがしんどかったけど、私はやっぱりYUKIが好きだった。

職業訓練落ちた。


先週医療事務の職業訓練の面接を受けたのだけど落ちてしまった。ここ半年、職業訓練を受けることしか考えてなかったので、かなり失望している。落ちる理由はわかる。わかるのでなんとも言えない。私の説明が下手だったのと残日数が少なかったからだけども、どうしたらええんや…と、途方に暮れている。

書くことが毎回ないないないと言ってるけど、あってもいざiPhoneを手にすると全く浮かばないのである。愚痴るなら散々と愚痴られるけども、なんとも言えない。

私の恋人がキュートなナイスガイだということをひたすら書けばいいのだろうか。誰も興味ないよな…。


ところで、唐突だけど、成人女性がハマる趣味の"沼"には色々あるが、抜け出せないかつヤバイ沼の一つに文房具があると思う。

去年から私は文房具にハマっていて、一生使い切ることのなさそうなシールやペン、メモに囲まれている。片付けなければとかねがね言っているのはこれらのせいだ。

文房具はヤバイ。文房具にハマる前は化粧品や音楽が好きだったので(ライブに行くにはおしゃれしなきゃいけないからね…多分ね、自己満だけど。)CDやら口紅やらを買い込んではいたが、アルバム1枚三千円、口紅ひとつ3000円と考えたら文具はコスパが桁違いなのだ。少し高級なシールが1枚300円だとすると、CD分の値段で10枚弱、口紅分の値段で6枚は買えてしまう。文具店でカゴにたくさん入れてしまっても万年筆などの高級品が入ってなければ1万円あれば買えてしまうのだ…これはヤバイ。趣味としてはお気軽でいいのかもしれないが、チリも積もれば山となるということわざを体現してしまっている。ヤバイ。(4回目)

なので来週から手元にある文具を紹介することにしようと思う。目指せインフルエンサーだ。