ジッパーの休刊にお疲れ様を込めて。
私の10代は原宿系への憧憬と共にあった。女子はいかにギャル的でいるかが幸せになれるような価値観の世界で、私を夢中にさせたのは原宿系の女の子たちだった。
私は部員が100人はいる吹奏楽部の片隅で地味な部員をしていたけれど、いつも自信と輝きに満ちているギャル的な子たちが本当に羨ましくてなりたくて仕方がなかった。
セミロングの髪は縮毛矯正、髪を器用にハーフアップにして、紺のハイソックス、スカートは少し短めで、ローファーやモカシンシューズに、肌は夏でも長袖で美白。そして有名ブランド品か、流行りのスクールバックを持っていた。
明るく快活に笑う女の子達は、どの子も可愛らしくて人気者だった。
一方私は髪の毛は癖があるゆえに長く伸ばせず、親が厳しくパーマもあてられなかった。
バッグも初めは親が勧めたどことなくダサいデザインで、持ってもテンションが上がらなかった。
肌もニキビができやすい体質で、美白どころのではなかった。
綺麗なものを見ると自分が落ち込んでいくのがわかっていたけれど、漠然とかわいくなりたかった。
そして、ある時ファッション雑誌に出会う。
他にも好きだった雑誌は多数あるが、特にジッパーには私の好きがたくさん詰まっていた。
かわいい読者モデルに、憧れの歌手。大好きな女優。歌手と女優は普段とは違う服を着ていて、その魅力に圧倒された。
田舎の土地からさほど離れていない土地に進学した上に、私の家族は住んでいる市からあまり出ない生活をずっとしていたので、世の中にこのような自由な服装の人がいるのかと、感銘を受けた。
そして、読者モデルが一般的な「美」ではなく、それぞれの個性を売りにしているのがとても衝撃的だった。
厳しめの校則と厳しめの親に嫌気がさしたのだと思う。
そこから私は原宿系になりたいと思うようになった。そして、実行した。
はじめこそは友人達に「ホームレスみたい」と笑われていたが、だんだんと認められるようになった。
クラスの地味な女の子が、半年後には「おしゃれだね」と一目置かれる人間に変わったのだ。
流石に目に見えるサクセスはあんまりなく、クラスのカーストを下克上した!ような事はないが、元々手芸が好きだったのもあり、安易な私は、行き詰まりを感じていた大学の道を諦め、服飾の専門学校に進んだ。
専門学校では友人に恵まれた。
服飾の道は結果的に向いてなかったとわかったけれど、今でも服はとても好きで、服飾を学べたのは本当に良かったと思っている。
ジッパーは私の人生を変えた雑誌のひとつ。
そのジッパーが休刊になる。
zipperは私に自信をくれた。ありがとう。