わたしの足はギリシャ型

あうくつがない

言葉の乱れ


昔から人の言い間違いについて細かく指摘しては嫌がられてきた。今思えば会話が成立すればいいだけにイヤミだったかなと思うことはできるけど、細かく思い出せば自分全く悪くないやん。と開き直ることも多い。まぁ恐らく正しい「指摘」だったとしても指摘をした人間が私だから嫌がられていたんじゃないかな、と今ならばわかる。

 


最近個人的に微妙としか言えないのは、善良な人たち……幸運に囲まれて暮らしているような……ちょうど、小坂明子の「あなた」の歌い出しにあるかのような暮らしをしているような人たち……偏見だけど、要は一軒家に犬と趣味と配偶者とかわいい坊や(女の子でも可)がいるような人たちが言いがちな、「意識高い系言語」「言い換え語」は、ここぞとばかりに糾弾したくなってしまう。ダサいし意味が分からないし。

 

「意識高い系」というのは、「本当に意識が高い」人の邪魔ばかりしようとするから嫌いだ。例えば真面目に生きている人をやたらアムウェイを勧誘することでその人の時間を奪うこととか。健康や美容に対する意識が高ければ頼りになるのはアムウェイで得た知識よりも小中高の家庭科や社会や生物の授業であって、トリックばかりを使っているデモンストレーションに引っかかってすごいすごいと聞くのは、軒並み学生時代に学生としての意識が低かったからだとしか思えない。

因みに私は24から29の5年間で3人の違う人間から勧誘されている。一人だけ「何も知らない時にこの人から勧誘されたら入ってたかもな…」という「うまさ」を感じた人はいたが、その人は初めから美容や健康の面でのメリットの説明は辞めていて、「儲かるから」というアプローチで責めてきていた。なかなかだな、と思ったけどそれだけだった。私は経済的なことがよくわからないので、若かったら引っかかってたかもしれない。だからといって、学生時代勉強を顔晴っていたわけではない。

 


顔晴れ……ってなんだよ。

 


調べてみると「頑張るよりも、がんばってる人は顔が晴れやかだから」ということで採用された当て字だが、それってなんというか「がんばってる時も晴れやかな顔をしていたい」よりかは「がんばってる時も晴れやかな顔をしていて欲しい」という発案者の願望が入っていそうで、ムカついてくる。絶対言い出した人パワハラしてそうだもん。「お、顔が曇ってるぞー顔晴りが足りないな☆」ってうるせーよとしか言えないことを言ってきそうだもの。それ、マラソンしてる最中の人にも言える?

初めてそういった文字面を見たとき私は、通っていた学校の教師たちが「やる気」という言葉から「モチベーション」という言葉に言い換え出した時に感じたうすら寒さを思いだした。

その時新任で発言権の低かった教師がボソっと「モチベーションとやる気じゃ意味あいが違うんだよね……」と漏らしていて、その通りだよなぁと思った事もだ。

やる気は出したりなくしたり、要はゼロから1、ゼロから10にもする事が出来るニュアンスだが、モチベーションは上げ下げするもので、あくまでも対象に1以上の土台がないと出来ない。その時話題になっていたのは授業をサボるために来なくなった生徒達で、上げるべきなのはモチベーションではなく出席率だった。

それから時代は変わり、すっかり「モチベーション」は市民権を得たけれど、この手の「言い換え語」で、個人的にモヤモヤした気持ちを収めるソリューションは見つかっていない。

 

 

 

 


ソリューションってなんだよ……。