わたしの足はギリシャ型

あうくつがない

今の気持ち

今日はキキララのパズルをしていたら一日が終わりそうだ。やばい。

昨晩は眠れなかった。SNSでフォローしていた方の親しい人がうつを苦に亡くなったという投稿を見て、当たり前なんだけどうつ病って死ぬんだ…と怖くなってしまった。

こういうことを言うとなんだかなぁ、不謹慎かもなって思うけど、私がなんで今こんなになにもできないのか少しわかった気がする。

思い出したのは病気になりたてのころ、学生時代めちゃくちゃ頑張って、ダメなりに学校に馴染めるよう努力したけど、うつになった途端全部どうでも良くなって死ぬことしか考えられなくなって泣いてたこと、うつになって体が動かなくなった途端、いままで優しく仲良くしていた先生たちが腫れ物に触るようになってしまったこと。

色々あって今は少し良くなったけど、どん底を経験したら強くなれるってのは私にとってはただの嘘で、どん底に戻るのが怖くて行動ひとつ移すのにもやたらに時間がかかるようになっている今のこと。


10年と少し前、とっても楽しいライブを見た後とんでもなく死にたくなって遠征先のホテルのベッドにしがみついて震えながら夜を明かしたことがある。ライブは間違いなく最高だったのに、思い出すのはホテルの部屋が無闇に高い階にあったせいで窓にフラフラ行きそうになるのをビクビク我慢してたことだけだ。誰のライブかも覚えてない。


楽しくて仕方なかった時に突然くる "死にたい" は強烈で、こんな楽しい思いをしたら自分はものすごい不幸になるに違いないという謎の強迫観念が自分を死に走らせるというか、死なないといけないという命令形で頭を襲ってくる怖さは言葉で再現しようにも全くできない。

今はそういうことが減ってよかったなぁというより多分またいつかそうなるかもしれないなぁという恐怖が心のどこかにあって、何かをするにも楽しい事から死への落差を低くしないと次にその観念が来たときはマジで死ぬんじゃないかと怯えてしまう。

こんな事なら病気になりたくなかった。

きっと今まで同じ病気で亡くなった人も、同じだろう。

彼らが亡くなって私が生きてるのはただのたまたまで、もしかしたら私もどこかで死んでたかもしれないし、彼らも生きてるかもしれない。そう思うとなんで私が生きられて彼らはいなくなってしまったんだ?とやりきれない。


亡くなった人の分も頑張ろうだとか、そういったことはほんとに嫌いだし言いたくない。

たまたま生き残った私に出来ることも何もない、だけど、それだけだと悔しいし、私が生きててごめんなさいと色んな人に申し訳ない気持ちになる。


病気が治る治らないってきっと勝ち負けとかじゃないんだ。たまたま大丈夫だった、それ以上の意味がなくて、今私が精神が多少アレでも生きていけることを謝ったりしないようになりたい。