わたしの足はギリシャ型

あうくつがない

明日から日記を書こうと思うんだ。

最近お気に入りのチルドカップのカフェラテはドトールのミルク香るカフェラテです。

少し前まではエスプレッソ濃い目が好きだったんですが最近はミルク濃い目が好きです。そしてミルク濃い目はタイミングを誤ればお腹を壊す…自傷行為なのか、これは、と自分に問いかけながら飲んでいます。

今日もお腹を壊しましたが、原因は自分で作ったレアチーズケーキです。なにかが間違ってダマダマになってしまったし。もはや上半期一番のトラウマになりそう。

嘘をつけない人のための自粛明けの仮病に使えるかなと思いレシピを公開しようかと思いましたが、私の腹が規格外に弱いだけだと思うのでやめます。

 


このブログは恋人にすることないなら毎週更新しなよと言われてしているんですが、前回日記のようなことを書いたと話したら「日記ならば毎日書きなよ」と至極もっともなことを言われたので、今日から毎日書こうかなぁとなんとなく思いました。いや、思うだけじゃあかん。決めました。

ほんとに書きたい!言わなきゃ!ってことがなくて、だからといって何かしたいことはあるのにやる気がなく、これが鬱なのかな、とはんなり思ってるんですがほんとこのまま死ぬのは悔しいんでやります。できるかなぁ…。

 


とりあえずほんとに毎日なにもしてないので、躁うつ病で仕事をしてない所詮子供部屋おばさんになってしまったアラサーは悲惨だぞという誰かの反面教師になったら幸いです。まぁ昔いじめられたり性被害にあったりでこんな感じになっちゃったので、あんまり自責の念がなくてヘラヘラしてるんですけどね。

 


しろよって感じだけど。自責しても病んじゃうし、うつでしんどくて毎日のように色々やらかしてた頃には戻りたくないし。あの時の苦しみは無駄だったと思いたくない葛藤みたいなものが今は仕方ないです。まだ、たぶん自分の病気とやらを受領しきれてない。もっと前に進みたいなぁ。

これは恋人がいるからヘラヘラ出来てるとかではなくて性分なんだと思う。なんかほんとやばい。希死念慮はやっとなくなったけど、多分まだしんどいっちゃしんどいのかも。認めたくない。(堂々巡り)

ちょうどTwitterみてても時事的に病むようなことしかないし、ちょうどいい。

 


そして、毎日書くにあたって、自分用のメモというか自分に言い聞かせたいことがあります。

 


それは、ハスに構えないこと。

90年代から00年台のサブカル仕草だと思うのだけど、善良な物事に関してハスに構えて敢えての悪意を向けるという露悪的な視点がカッコイイとされていました。

当時のサブカル女子の端くれとしてそういう視点は未だに自分にあります。でもそれはその年代が豊かだったから出来たことだと思うんですよ。今の社会は豊かなのか?

社会はわからんけど少なくとも私は豊かではない。

みんなが認める美しいものに対して、露悪的に振る舞う価値観は、露悪的な価値観の持ち主が露悪的であるという自覚と、美しいものが圧倒的に美しいという前提がない成り立たないはず。そんなものあるのか、最近は犯罪の被害者にすらない非を無理やり作り出す人が多いじゃないか。最近になって突然というよりかは前からなんだろうけど、だったらここでの逆張りはカッコよくないしダサいと気づいた。

 


00年代に思春期を過ごし、そのま露悪的な大人になりメンヘラとしてここ10年生きてるけど露悪的になったところでなにもいいことはない。

むしろ人の善意にまで疑いの目を向けてしまい、余計病むだけだったし。

これは実験だ。きっとそろそろ職業訓練も始まる。社会復帰だ。だから私には素直になる必要がある。